一週間後の金曜日の夜、僕はマスターの店に行こうか行くまいか悩んでいた。
習慣化してしまった店通いは、一度行かなくなればどんどん行きにくくなる気がしていた。

でも先週の事もあり、いつものように自然に足が向くような事はなかった。

またあの人が来ていたらどうしよう・・・

そう思っていたら、急に携帯が震えた。
バーのマスターからだった。

「はい・・・」

『あ、春ちゃん?良かったー!電話出てくれないかと思ったよ。』

マスターもきっと先週の事を気にしていたんだろう。

『あのさ、先週は本当にごめん。それと、先に懺悔しときたくて電話したんだ。』

「懺悔?」

『あの後春ちゃんの事をさ、古宮さんに聞かれて話しちゃったんだ。
その、容姿を気にしてる事とかさ・・・』

「え・・・」

そう言われてどうして・・・と、少し考えたものの、僕があんな態度を取っていたのだ。
気になるのは当然だろう。

「大丈夫だよ。僕の方こそ先週は失礼な態度とってごめんなさい。」

『全然大丈夫!はー、良かった。許してもらえなかったらどうしようかと思ってたんだ。
それで今日は来る?先週多く受け取り過ぎてるから、お釣りを渡したいんだ。
というか、受け取りに来てくれないと困っちゃうよ、俺。』

マスターのこの人懐っこい雰囲気に、電話口とはいえ気持ちが柔らかくなった。

「うん、分かったよ。いつもの時間に行くね。」

そう言って電話を切った。
電話が来て、正直助かった気持ちだった。
あの居心地のいい場所から遠ざかる事は、やはり自分にとって嬉しくない事だった。

会社からバーまでは約30分。地下鉄に乗り、駅からほど近いビルの地下にある。

地下という事もあり、あまり人目につかず、しかも表通りから一本奥に入るので、
わざわざ探すか、迷ったりしなければここにはきっと辿りつけない。

電話の後で少し残っていた仕事を片付け、店に着いたのは8時半頃だった。

階段の所前まで行くと、この店に似つかわしくないような人達が扉の前で
マスターと何やら話しているようだった。
まだ早い時間ではあったが、相手はかなり酔っているようだった。

「だから、一見さんはお断りなんですよ。
どなたかからの紹介でないと入店頂く事は出来ません。」

「あ?客を選べるような店なわけ?」

「ええ、貴方達のような客の入店をお断りする程度には選べると思っていますよ。」

なんて会話がやり取りされているけど、相手は今にも手を出しそうな雰囲気だった。
このままじゃマスターが殴られてしまうかもしれない。
とりあえずどうにかしなくちゃ!

そう思って一歩足を踏み出すと、後ろから誰かに肩を掴まれた。

「!?」

驚いて振り返ると、そこには古宮さんが立っていた。

「古宮さ・・・」

古宮さんは電話を耳にあて、口パクで
“動かないで”と言って電話先の相手と話しながら店に近づいていく。

話の内容からどうやら警察に電話をしているらしかった。

「ええ、○○駅の近くの3丁目のバーで業務妨害している男性が何人か。
はい、すぐにお願いします。」

そう言って電話を閉じると、
「警察がすぐに来ますよ」と言って絡んでいる相手に話しかける。

「ふざけんなよ!」

その言葉に相手が逆上したのか、相手の一人が古宮さんに殴りかかろうとしたが、
古宮さんはその相手をひらりとかわし、腕をひねりあげた。
その動きは本当に素早くて、鮮やかだった。

「ふざけているのは君たちじゃないかい?」

「いてーーー!離せっ!腕が折れる!」

その時、サイレンの音がこちらに近づいて来た。
その音に仲間の一人が慌てだし、古宮さんもそれ以上は何もせず、腕を離した。

「やべ!もういいから行こうぜ!」

そう言って地下から走って上がって来る相手とすれ違った。
彼らは逃げる事に必死で僕には目もくれず走っていったように見えたが、
その中の一人だけが僕の存在に気付いたようだった。

「あ・・・」

信じあれない事に、相手は僕のトラウマになったあの同級生であった。
同級生は複雑そうな表情になり一言
「相変わらず、男か女かわかんねーようなツラしてんだな」と言って去って行ってしまった。

その言葉に、僕は立ちつくしてしまった。

古宮さんが何も言わず背中をさすってくれたけど、
それが合図のように僕の目からは涙があふれて来てしまった。

そのうちパトカーが止まり、マスターは僕たちに先に店に入るように促した。

「二人とも店に入ってて。事情は俺が話すから」

「ああ、大事にしてすまないね。」

「いえ!助かりました。さすがに俺も殴られるのは勘弁して欲しかったので。」

マスターは外に残り、僕たちは
店に入って、この間と同じカウンター席に二人で並んで座る。

「少しだけでもいいから、隣に座っても構わないかい?」

先週同様、こんなに端正な容姿の人と一緒にいる事は躊躇われたが、
今一人になったら余計に泣いてしまいそうで、俯いたままではあったが頷いた。

「先週会った後、どうしても君が気になって、
マスターから君の過去の事を聞きだしてしまった。申し訳ない。」

「い、いえ・・・でも」

でも、なんで、僕の事をわざわざ聞きだしたりしたんだろう。
こんな風に、自分に自信の持てない人間が、珍しかったから?

「でも?・・・いや、そうだな、君の言おうとしている事は分かる。
なぜ私が君の事を聞きだしたのか・・・そうじゃないかな?」

「・・・・は、い」

「いい歳をしてと笑われるかも知れないが、
・・・君に一目惚れしてしまったんだ。」

え、いま、なんて・・・
あまりの衝撃に、涙でぐちゃぐちゃになっているであろう
顔を思い切り上げて、彼の顔をまじまじと見てしまった。

そうして彼の顔を見て一瞬で冗談ではないと理解してしまう。
彼の目が穏やかに、それでいて真っ直ぐに僕を見ていたから。




 
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