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あれから定時まで、俺はとても落ち着かない気分だった。

たまに江藤をちらりと見るが、俺とは対照的に落ち着きはらって仕事をしているようだった。

つーか、好きな相手と二人で飲みに行くなんて、
嬉しい事なんだろうからもっとわくわくドキドキ感が出ててもいいはずだろ!?

これじゃまるで俺の方が好きでドキドキしてるみたいじゃないか。

「ううっ・・・なんで俺がこんなに気にしなきゃなんねぇんだよ・・・」

なんて思いながら仕事をしていたら、いつの間にか時計の針は定時を指していた。

PCの電源を切りエレべーターに向かって歩きだすと、同じ方向に江藤の後姿が見えた。

秘書課の綺麗な女性と何やら話をしているようだ。

“お前が定時にあがってロビーでって言ったんだろうが。さっさとしやがれ。”

なんて思いながら近づいていくと、江藤の困ったような声が聞こえてきた。

「ですから、本当に今日は大切な用事がありまして」

「えぇ〜!たまには付き合ってくれてもいいじゃないですかぁ!
そうやっていっつもはぐらかすんだもの」

「今日は本当に外せない用事が・・・」

そう言っても彼女はまだ食いさがっている。外せないのは俺との約束なんですけどね。

でも、まぁ、本当に大事な用事がある時にこんなに迫られたらちょっとかわそうかも。

そう思って助け舟を出すことにした。苦手な相手を助けるなんて俺っていいやつ。

「江藤さん、早くしないと先方に迷惑かかっちゃいますよ!」

こう言えば角も立つまい。仕事絡みだと思えば向こうも諦めるだろうし。

「!!・・・あ、はい!じゃあすみません、失礼します。」

女性に別れを告げ、連れだってエレベーターに乗り込んだ。
もちろん女性は不満げな顔をしていた・・・

「香島さんのおかげで助かりました。
ロビーに下りようとしたらエレベーターの前で捕まっちゃって。」

「社内の女の子と個人的には飲まないって言ってましたけど、
あんなに綺麗な人の誘いまで断って良かったんですか?」

「いいんです。香島さんとの約束より重要な事なんて、俺にはありませんから」

「え・・・」

さらっと凄い事を言われたが、江藤は気にした様子もなく颯爽とエレベーターを降りる。

「お店なんですが、僕の知っている店でもいいですか?あと、ワインはお好きですか?」

そう言えば店をどうするかも決めていなかったな。何事もなかったように聞かれ、
俺は慌てて答えた。

「白は好きです。あとシャンパンも。赤は子供舌なのか少し苦手で・・・」

「白もシャンパンも豊富なお店なので大丈夫ですよ。
駅が近くにないのでタクシーで移動しますがいいですか?」

「あ、はい」

俺なんて駅前の居酒屋で充分満足してるのになぁ。


タクシーの着いた先は一見店だと分からないような一軒家のような作りだったが、
中に入ると一転し高級感が漂っていた。

こ、これは・・・酔っ払って騒げるような場所じゃない・・・

こんな店の備品に傷でもつけようものなら後でいくら請求されるか!

いくらそういう事にうとい俺でも、それくらいの判断はできるぞ!

「クリュッグのクロ・ダンボネを1本、あとは適当に頼むよ。」

待て、クリュッグなんとかって・・・なんだ・・・
そう思い近くにあるワインリストを見た俺は一瞬で冷や汗が出て来た。
シャンパンのボトルで、ご、ご、ごじゅうごまん超えだって!?

「え、江藤さ・・・俺、今日あんまり持ち合わせが・・・」

「気にしないで。せっかくつきあってもらったんだから、俺に払わせて。」

払うよじゃなくて払わせてって言う所がすごいなぁ。

「大丈夫、じつはここ、俺の知りあいの経営してる店でね、
東京にいてなかなか来れなかった分、たまに尋ねると値引きしてくれるから。」

値引きって言ったって、元の値段がコレでは大して金額が減らないだろう・・・

「なんか、かえって気を遣わせてますよね。いつもはもっと手頃なのを飲むんですが
香島さんが一緒なんで、見栄張っちゃいました。
それに、せっかく念願かなったんですから、たまにはちょっと贅沢してもいいかなって。」

ちょっと?たった一本のシャンパンに50万以上払うのがちょっとだなんて信じられない。
それに念願かなったって…

「あの、鵜飼が言ってた事は本当なんですか?」

本人にこんな事直接聞くなんて何だか変な感じがするけど、
“俺との約束より重要な事なんてない”だの“念願かなった”だの言われたらもう
背中がむず痒くて確認せずにはいられない。

「鵜飼君の言ってた事?」

「江藤さんが、お、俺の事…す、す……好きだって」

自分から聞いたものの恥ずかしくて顔は見れなかった。

「…鵜飼くんに話した時点で香島さんの耳に入る事は分かっていたんですが、
香島さんから切り出されるとは思ってませんでした」

江藤は少し驚いたような言い方をしていた。

「……正直ね、自分でもおかしいと思ってるんですよ。
同性相手にこんな感情を抱くなんて。」

「…………」

否定しないんだな。それどころかその言葉は肯定にしかとれない。

沈黙が続いた時、ちょうどウエイターが前菜らしきプレートとシャンパンを運んできた。

「とにかく、ぬるくなってしまう前に乾杯しましょう」

「あ、そうですね。」

そう言って乾杯をして人生で二度目があるか分からないシャンパンを口に運ぶ。

正直、善し悪しは俺には判断出来なかった。比べる対象がないからだ。

「先ほどの話しの続きなんですけどね。」

「え?あ、はい」

「正確にに言えば、鵜飼君の言っている事はちょっと間違っているんですよ」

間違っている?
それは恋愛の“好き”とは違うという意味だろうか?

「俺の感情は、“好き”とかそういうものじゃ収まらないんですよ」

「え?」

「欲しいんですよ。貴方が。」

何を言ってるんだ?欲しいって一体どういう事だ?

「分からないなら分かるように言いなおしましょうか?」

待て、それは聞いてはいけない気がする。

待ってくれ。そう言いたいのに、何故か上手く言葉が出てこない。

普段とはまるで顔つきが違う。
危ないと思うのに、逃げなければと思うのに、身体の力が抜けて行く。

「貴方を犯したい。SEXだけじゃない。心も身体も、支配して奪い尽くしたいんです。
あなたのよがっている顔、涙、全部綺麗なんだろうな。」

あやしく微笑む顔を一瞬目のふちに捉えた所で、俺は意識を手放した。




 
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