1 ほんの数カ月前まで俺は自分がどこか特別な人間なのだと思っていた。 学生時代には勉強も運動も人並み以上に出来ていたし、絶えず周りに人がいた。 社会に出た後も仕事は上手くいっていたし、上司とも後輩とも、誰とでも上手くいっていた。 特別な人間だと思っていたのが 自分の勘違いだったと気付いたのはあの男、江藤の出現によってだった。 正に神の贔屓によってこの世に生を受けた人間を目の前に、 俺はただ自分の自信の全てが喪失されるのを感じた。 数か月前東京の本社からうちの部署に配属されてきた彼は 金、地位、ルックスの良さ、何から何まで嫌味なほど、揃っているのだ。 性格も温和で人当たりもいい。仕事も出来る。 自信と余裕から生まれるであろう他人への気遣いも完璧だった。 最初は東京から地方へ飛ばされるなんて何かやらかしたのかと思ったがそうではないらしい。 2年の期限付きだ。 2年経てば、さらに明るい未来と重厚な椅子が、彼を祝福する事になっている。 彼が完璧であればある程、俺は自分がみじめになっていった。 誰に何を言われたわけでもない。 自分の思い上がりに気づいた瞬間、それを気づかせられた相手に、俺が勝手に劣等感を感じているのだ。 何かされたわけでもないのにこんな風に劣等感を抱くなんて、 俺って意外と性格が歪んでるんだなと思った。 気づけば挫折らしい挫折も味わっていない。 これが人生初の挫折だといってもいい。 出来れば一生味わいたくなかったものだが、味わってしまったのだから仕方ない。 そんな事を資料作成しながら考えていたら、急に目の前に影が出来た。 「香島(カシマ)さん、お昼、ご一緒しませんか?」 江藤だった。俺の劣等感をさらに煽るように、切れ長の目がこちらを見つめてくる。 「いえ、俺はこの仕事を片付けたいので、休憩時間をずらしてとりますので」 「そうですか・・・残念。また今度付き合って下さいね。」 彼はこうしてたまに俺を昼食に誘ってくる。 毎回なんやかんやと理由をつけて断っているのだが、それでもめげずに、だ。 俺だったらこんなに断られる相手は誘わない。 気が長いのか懐が深いのか・・・ 俺とは器が違うんだな。 なんて、なんでも比較してしまうから、悪循環なんだよなぁ。 「なぁ、なんで付き合ってあげんの?別にこの資料、急がんでもいいが。」 この名古屋弁の男は鵜飼。同期だ。 「お前はなんでも後回しにしすぎだろ。後から何か言っても俺は手伝わないからな。」 「香島、そんな冷たい事言わんとってよ!」 「あーもう暑苦しいっ。お前も1時間休憩ずらせよ。外に食いに行こうぜ」 「おっけー。毎日暑苦しいで、冷たいもん食おうぜ。」 「暑苦しいのは天気じゃなくてお前だよ・・・」 まぁ、別に江藤がどうなろうと俺の知った事ではない。 こうして気を遣わなくて済む同僚もいて、仕事自体は順調なのだから。 俺達はその後、割と近くにある蕎麦屋に入った。 冷たいものをと言っていたのでざる蕎麦を註文した。 時間をずらした事で、ランチのラッシュに巻き込まれずに済み、程なく蕎麦が運ばれてくる。 「しかしなんでお前は江藤さんにそんなに冷たいんだ?俺ならあんな人に食事に誘われたら 絶対断んないぜ。なんか一緒におるだけで得した気分になるが。」 「俺別に冷たくなんてないし。一緒に居ても虚しくなるだけだし。」 「虚しくなるほど一緒におるように見えん・・・」 鵜飼はじと目で俺を見ながら蕎麦をすする。 「お前なぁ、俺と江藤をどうしたいんだよ。 学生同士の中をくっつけようとするおせっかいな女子みたいだぞ。」 「まさしくくっつけたいんだ!」 そう言って今度は割り箸で人を指してくる。なんてマナーの悪い奴! しかもくっつけたいだって?俺は自分の耳を疑った。 「は・・・?」 「だって江藤さんさぁ、俺にお前の事聞いて来るんだわ。そりゃもう熱心にさ! 好きな食べ物から女の趣味まで!本人に聞けばいいじゃないですかって言っても、 “俺は嫌われているみたいだから”なんて言ってさ、俺は涙が出そうになったね! つーわけで、俺は断然江藤さんの味方な。お前の事逐一報告するもんで、よろしく♪」 「何が宜しくだ!お前、それじゃ江藤さんが俺の事、 す、す、好きだって言ってるみたいじゃないか!」 「みたいじゃなくてそうなんだろ?まぁ、そこは本人に聞かないと分からんけどさ。」 そんな事あるわけない! だって相手はあの江藤だぞ!あんな完璧な人間なら女の子なんてよりどりみどりじゃないか! なのになんで男を・・・よりによって俺なんかを好きになる必要があるんだ。 「ありえねぇ・・・なんで俺?」 蕎麦を食べる俺の箸は止まり、完全に頭を抱えてしまった。 「ま、どーしても気になるんなら本人に聞きゃーいいが」 なんて暢気なんだ。大体、こいつがこんな事言わなきゃ知らなかった事実だ。 「気にさせてるのはお前だろ!」 「まぁ、確かにね。でも江藤さん本気っぽくてさ、 でもイロコイは苦手そうで、今時の高校生のがまだ上手く立ちまわれそうな気がするわけ。 嫌われてるだろうお前みたいな相手に断られる事覚悟で食事に誘うなんて健気な人だが。」 別に嫌っているわけではない。ただ劣等感を感じているだけだ。 嫌いというより苦手。そう、苦手なのだ。 ただでさえ不自然な避け方をしている自覚があるのに、俺に惚れているかもしれないなんて 聞いたら余計に不自然になってしまうじゃないか! 「そんな事より早く食べやー。昼休み終わるじゃん。」 「お・ま・え・なぁ〜!マイペースなのもいい加減にしろよ!」 その後苛立ちながら凄い勢いで蕎麦をかきこんだら盛大にむせてしまった。 そして鵜飼のせいでむせたんだからおごれと言っておごらせた。 どうせなら野菜の天ぷらのついた950円のじゃなくて かきあげと海老と野菜の天ぷらと茶碗蒸しのついた1250円のにしてやればよかった。 ・・・・・俺ってちいせぇ。 → novel index top |