1
全てが光輝き、花が咲き乱れる世界があるという。
それは夢物語かも知れないし、願望の例えかも知れない。
その真実を知るには儀式を行わなければならない。
薄紫の石を満月にかざし、純真な身で口付けを・・・
その儀式を行えば、異世界への扉は開かれるのである。
そう、たとえそれが、何も知らずに行われた行為だとしても・・・
昔から母が愛用している美しい首飾りが大好きだった。
幼い頃、抱きしめられた時に目の前に必ずあったあの美しい色の宝石。
薄紫の・・・それはまるで母の笑顔そのもののような、やわらかい光を放っていた。
その光にあやされるように、俺はいつも眠りについていたんだ・・・
そして今、母が目の前で永遠の眠りにつこうとしている。
元々身体の強い母ではなかった。
父は、俺が2歳の頃交通事故で亡くなっていて、
そのために母は、俺を育てるため昼も夜も働き詰めだったのだ。
俺は去年高校を卒業した。
この厳しい時代に運良く就職も決まり、いざ働き初めて一年目の今年、
母が急に倒れてしまった。俺が社会に出て慣れ始め、安心したのだろう・・・
とにかく母には申し訳なくて、そしてこれからの事を考えると悲しくて、辛い。
母が死んでしまったら、これからは正真正銘、一人で生きて行かなければならなくなる。
母のいるこの病室には、心拍を示す規則的な電子音が響いている。
「の、ぞみ・・・希・・・」
寝ていた母が急に自分の名前を呼び、
その細った腕を布団から出し、必死に何か伝えようとしている。
「母さん!?俺ここにいるよ!」
「私が・・死んだ・・・時は、貴方に・・・この、首飾りを・・・」
母は何があってもこの首飾りを離そうとした事はなかった。
それなのに今、俺に、それを渡そうとしているのだ。
身体の表面がざわつきはじめた・・・嫌な予感がする。
「死ぬなんて言わないでくれよ!生きて、元気な時に・・・
笑って、それで俺に渡してくれよ!」
「馬鹿・・・ね・・・元気なら、あげないわよ・・・誰にも・・・
父さんが、くれたんだもの・・・」
愛しているのだ。
母は、父を誰よりも愛してるのだ・・・
亡くなって、18年経った今でも・・・
父の事を語る母は、昔から少女のような顔をしていた。
眠りにつこうとしている今でも、その顔は少女のような笑みを浮かべている。
やっと、父の元に行けると思っているのかも知れない。
俺の手を強く握り、あの時の宝石の光のように柔らかい笑顔を浮かべた瞬間、
電子音が断続的な・・・俺が最も聞きたくない音を奏で始めた。
”ピーーーーーーーーーーーーッ”
ああ・・・逝ってしまう・・・
俺は泣きたかった・・・
誰もいない所で・・・
誰にも知られない所で・・・
病室から見つめた月は、涙で朧月になっていた・・・
どんな時にでも時間は容赦なく過ぎて行く。
俺は、母の形見となってしまった首飾りをずっと握り締めていた。
葬式の間も、火葬の間もずっと・・・
ずっと握り締めていた・・・
そうして何かに縋り付いていなくては、
母の遺体の前で泣き叫んでいたかもしれない。
そうなるわけにはいかなかった。
何もかもの手配を自分でやらなければいけなかったからだ。
母の骨壷を抱いて家に着いた時にはもう日が暮れて、
空の高い位置には月が光っていた。
今日は満月らしい・・・
いつもより光を増して輝いているように見える。
その淡い月の光を見てホッと息をつきながら、そっと握り締めている手を開いた。
手の平には鎖の跡がはっきり残っていて、その中にはうっすら爪の跡もあった。
余程力をいれていたらしい・・・
窓から月の光が差し込み、
ペンダントヘッドである薄紫の石に月の光が反射している。
反射しているというより、光が石を包み込んでいるという方が適切だ。
その光を見ていると、何故だか安心出来た。
本当は一人になったら思い切り泣こうと思っていたのだ・・・
だが今は、そんな気は起こらなかった・・・
母の微笑みを思い出せるからかも知れない。
安心したと同時に、急激な眠気に襲われた。
一日中気を張っていたため、疲れが出たのかもしれない。
その睡魔に抗うことなく、ベットに横になり目を閉じる。
「おやすみ・・・母さん」
そう言うと、光をまとったその石に優しく口付けをし、意識を手放した・・・
”希・・・希・・・”
誰かが呼んでいる・・・
母ではない・・・しかし全く知らない声ではない・・・
覚えていない筈の父の声に似ていると感じた。
”これからは何があっても守ってやれる・・・希”
誰・・・誰なんだ・・・
何で姿が見えないんだ・・・
”おいで、希・・・その扉を開けて・・・”
扉?
目の前に扉がある・・・そこからは光が漏れている。
そうだ・・・あの光だ・・・あの月の光・・・
その扉を開けるのに戸惑いはなかった。
救われるような気がしたのだ・・・全ての事から・・・
ギィ・・・
重苦しい音を立てて扉が開く。
その先は光の世界で、眩しくて目など開けていられなかった。
そして、何かに引っ張られると感じた瞬間、目が覚めた・・・
「!!夢・・・?夢か・・・そうだよな・・・」
はぁ・・・っと目を閉じたまま大きくため息を吐く。
そういえば、スーツのまま寝てしまったことを思い出して、
とりあえず着替えてしまおうとネクタイに手をかけた。
・・・手をかけた筈だった。
ネクタイが、ない・・・
寝ている間に苦しくなって自分で外したのだろうかと思ったが、違うらしい。
スーツではない何かを着ている感触がある。
例えるなら旅館で着るような浴衣の、スースーして心許ない感触だ。
恐る恐る目を開けると、見慣れない壁紙の模様が目に飛び込んで来る。
それは自分の住んでいたアパートとは明らかに違う、高級そうな模様だった。
何がどうなっているか分からず、取り合えず身体を起こして辺りを見回す。
広い・・・広すぎる程広い・・・
内装はテレビで見た事のあるようなホテルのスイートルームを連想させるが、
それよりも確実に豪華で広い。
呆然としていると、誰かがドアを空ける気配がした。
綺麗な女の子が入ってきて、俺の顔を見るとにっこり笑った。
|